美しき和
本物の数奇屋に行きたければとてもいい選択がある。
木の風合いにこだわったその宿は、四季をたたえる渓流に建つ。通りに面しているのは1,000坪の敷地のほんの一部分。間口の控えめな玄関の先には意想外に奥行きがあり、庭園を囲むように渓流沿いまで自然に寄り添うように佇む。ここに客室は僅か10室。これが熱海荘の在り方。
仄かな灯りに照らされた宿の中に入ると、茶室にいるような心の鎮まりを覚える。
青森ヒバの香りを存分に楽しむ
壁、天井まで青森ヒバでできた浴室。男湯は赤御影石で、女湯は十和田石だそうだ。無色無臭の湯は、木の香りを存分に楽しめる。
内湯から外へ出ると、川べりの露天風呂。湯につかりながら渓谷美をじっくりと堪能。お湯がいい。湯につかると、すぐ肌の表面がトロリ。古い角質が溶けていくのが分かる。美肌の湯というのかな。
さらに風呂に用意されたバスタオルの肌触りに感動。聞けば機械洗浄に任せず、柔軟材を使って手洗いなのだそうだ。
渓流の特等席とすっぴんの木肌
特別室を含めて10室がすべて、手作りの作品のようにそれぞれの味わいを備えている。 部屋の戸を明けると、素晴らしい一幅の絵が表れる。数奇屋と渓谷美のコラボレーション。この絵を邪魔することなく、テレビは棚の中には姿を消していてくれる。
ちょっと広めの畳、ちょっと高い天井、ちょっと大きめの襖は、すべて人が安らぎを感じる大きさにしてあるという。目立たぬが近づいてみると、木材の上質さに驚く。美しき日本の美意識。時間を過ごすほど馴染んでくる空間。飽きのこない味。壁に姿を消しているテレビのスイッチは、ついに入ることはなかった
館内の照明はぎりぎりまで落とされ、そのせいか自分たち以外のお客がいることを忘れてしまいそうなほど静か。谷崎潤一郎なら、この陰翳をどう表現したであろうか・・・・・・。
木のやさしい肌触りと香り、自然の音そして静寂の音など日本の美意識を映す小さな隠れ宿。上質な空間にいるのに、自分の家にいるような心穏やかでいられる安堵感が包む。
20歳代の自分がここに来ても、この宿の良さを感じる素地は整っていなかったかもしれない。三十路をまわり、蕎麦が好きになってきたころから、こんな落ち着いた風合いが好きになってきた。自分はこれからどう年を重ねていくのか・・・・・・。
上品な“ふんわり”を楽しむ
料理は部屋出し。プライベートなひととき。桃の食前酒を頂き、夕餉を始める。椀物のハモの淡白な身に薄味の汁が寄り添う。上品なふんわりを楽しむ。驚くような高級食材が出てくるわけではなく、どーんとインパクトの強い料理が出てくるわけでもない。こだわるのは素材の質のよさだ。旬の味を引き出す姿勢が熱海荘らしい。
揚げ物のアスパラは衣はサクッ、中心は半生で熱々のおつゆがにじむ。越前焼きの器のふたを開けると、ふわりと香ばしい。凌ぎの冷や素麺は鯛のスープでいただく。スープごとのめる。後味が楽しい。
シマエビ、アオリイカ、ホッキ貝、そして山菜を巻いた鯛。
最上の普通。お忍びの宿には、ここがいいな
“本物が何か、本質はどこか”。その思想が見事に表れる家。ご主人は椅子を入れようと思うと、実際に座ってみる。どれだけの時間座って心地いいか確かめる。通路の照明は、どれくらいの明るさが顔の陰影をきれいに見せるだろうか・・・・・・と尽きることはない。
いや、むずかしい話はご主人に任せておけばいい。泊まるこちらは能書きなど気にせずに、ただただその穏やかな空間に心を委ねればいいのだ。
虚飾を施した宿は、往々にして一日を過ごしてみると空しく見えることがあるが、熱海荘の翌朝は一層心地いい。和の造作と自分の心が、一晩かけて調律されて、余韻の部分できれいな調音となる。
朝の露天風呂に出て、野鳥と朝の喜びを共有する。蛙の声が加わり、のどかな朝風呂となった。
縁側に腰掛けて空っぽの時間を楽しむ。部屋で朝食を頂いた後、庭の木に野鳥がとまった。カメラを向けたのは、もう飛び去った後だった。
お忍びの宿が必要になったら・・・・・・ここがいいな。
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