今回はなぜか個室の食事どころに案内してもらった。”写真撮る気満々”な空気が出てしまってたからかもしれない。そしてここにもオーディオが積みあがっていて、とろけるようなJAZZの音を部屋にいきわたらせている。
山菜が横一列に並んだ。器はウィスキーかなんかの酒樽をばらした板らしい。タラの芽のゴマ和え、あく抜きしたふきのとう、ワサビの葉、のびるのイカ裂きのせ、筍、こごみ、ウドの醤油煮などなど。小さな器たちも見ていてたのしい。
前回着たときに「岩魚のなめろう」に感激したのだが、これはそれを焼き物にしたもの。
信州牛のにぎり
汁椀
馬刺しのたたき?すぎもと流。これは記憶にくっきり焼きつく、すぎもとの名物料理。
馬刺しでワサビとウニを巻いて。う?ん、こりゃ旨い!
アツアツで焼き筍登場。皮のまま焼かれて香ばしいこと!春の苦味によって甘みがより際立つ。
山菜の天ぷら
信州牛のステーキ
待望のご主人の手打ち蕎麦。公式サイトには特に記述はないが、10割で打っているのではなかっただろうか。この蕎麦にたどり着いたときに無常の喜びを感じる。
なんとわさびではなく、こんな風に七味唐辛子を振りかけて食べるんです。半信半疑だった自分はちょとだけど、これがめちゃ美味!家に帰ってきてからざる蕎麦は唐辛子で食べるようになってしまた。
バーひびき
バーひびき
なんだか濃厚な一日だった。
客室 ベッドルームとロフトのお部屋
ベッドルーム
低い松本民芸家具の椅子
朝食の食事処
朴葉みそ焼き
なにをしたたけどもないけど、あっという間に時間が経ってしまい、部屋のオーディオは鳴らしてあげられなかった。ゴメン。
日が落ちる頃の回廊は、ハイセンスな空間に見えたが、朝見るとほほえましい道祖神があちこちにあり、なんだか安曇野のあぜ道を歩いた日を思い出した。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。」
おとなの秘密基地
到着
10年ぶりくらいなんだろうか。
場所は記憶してたつもりなのに、迷った。
松本城から車で10分ほどの田舎道。観光地というよりは生活の匂いがある土地だ。
近くを歩いてる人に尋ねると「あっちのほうに温泉街がある」と教えてくれた。
温泉街と呼ぶにはあまりにも静かな、路地裏のような車一台がノロノロと走れるほどの細道にたどり着き、「あっ、ここここ」と記憶がよみがえった。
旅籠の風情が残る宿がいくつかならんでいる。
外から見る限り「すぎもと」は特別な匂いを発していない。
木造3階建ての建物は、この路地裏に歩調を合わせて佇んでいるように感じられる。
だけど、戸を入るとその空気は変わり始める。
早速JAZZが聞こえ始めて、ご主人が迎えてくれた。
約10年前に温泉の本を書くために、すぎもとを取材させていた。あれからもう10年。「ひざが痛い」なんて年寄りじみた話をしながらもその話しぶりは江戸っ子の噺家さんみたいで、相変わらず気風がいい。
息苦しいまでのすぎもと世界
好きな場所が二つある。
そのラウンジは「館主の部屋」というらしい。その名の通り大人の隠れ家というか、いやご主人の趣味が炸裂した部屋だ。
一角には高そうなオーディオ類が積みあがりジャズが鳴っている。
ここは話をする場所というよりは音楽を聴く場所と言ったほうがいい。それくらい音量がでかいので、女性などはたじたじの方もいるだろう。
松本民芸家具のロッキングチェアーとそこにかかるクロスの組み合わせがかっこよくて、ご主人に訊いてみると、
「いや、高いもんじゃないですよ」
どこか外国の織物だといって多様な気がする。
もうひとつは、中庭の風呂をぐるりと取囲む回廊。風呂上りの夕涼みにもってこいの場所。作庭は小口某という人らしい。縦看板があったのでその世界では有名な方なのだろう。回廊を見下ろすように建つ宿は、古民家再生の第一人者、あの降幡設計の降幡廣信氏だという。このなんとも言えない穏やかな空間にちょっと色気を感じさせるのはすぎもとのご主人花岡さんのエッセンスに違いない。枯山水の庭は毎度ご主人が玉砂利にトンボのようなもので波をつけるらしいが、その様子を偶然見た知人が「すごい形相だった」と話していた。目に浮かぶ。蕎麦打ちのときもそうだから。
息苦しいまでにすぎもとらしい。
山菜の時期に無性に来たくなる。
前回もそんな時期だった。
「山菜なら山奥の宿へでも行ったらよいだろう」というのももっともなのだが、ここにはそれとはちがう、山菜料理があるのだ。
隠し部屋のような個室に通された。ここにもオーディオが積みあがっている。
なにやら長?い器が運ばれてきた。ウィスキーの樽をばらしたその木片に、スモールポーションの三菜が幾つも一列に並んでいる。昔ながらの山菜料理ではなく、主の言葉を借りると”いたずら”が仕掛けられた山菜料理だ。
「うちは肴料理ですから」と酒好きなご主人の言葉に誘われて日本酒を舐め舐めしつつ、10種類は下らない三菜の数々を啄ばむ。とにかく春の味というのは力強い「さぁ、生きるぞ!」という力強さがそのまま味に出るのだろうか。すぎもとでは味付けを弱めにして、この山菜の闊達な味を活かすのが信条らしい。
「馬刺しのたたき すぎもと流」というのがやみつきになる名物料理。馬肉の甘みとウニの旨みが交わりミョウガがアクセントをつける。のりの風味がこれらに奥行きをあるものに仕立てるのだ。んー、たまらん!
そしていよいよクライマックス。ご主人の手打ち蕎麦だ。やっぱりこの蕎麦を食べんことにはすぎもとに来た気がしない。盛り蕎麦は七味唐辛子を振りかけて食べるという。
「そんなばかな。」
蕎麦にはワサビ以外ないだろう。いつからそんなことに?と思って尋ねたら、以前からずっとそうだったらしい。おそらく前回自分はこの七味唐辛子ってやつを完全に素通りして食べたいたんだろう。
けっこうどばっと振りかけて、「ずずずっ」と吸い込む。
「おぉ、美味!!!」
はじめてだこんなの。
今では家でも七味唐辛子なのだ。
10年
「お客のニーズ」と「お宿の個性」。この二つ、仲良くいく場合もあれば、綱引きのような場合もある。でも、すぎもとの場合オヤジが生み出す「個」がこの宿のご馳走なんだ。
マーケティングではじき出したような人気の宿、儲かる宿の公式など意に介さない、女性好みに小じゃれた和モダンのデザイナーズ旅館ではない。そして、すぎもとの世界はここにしかない。
きっとそれが噺家のような愛嬌のあるご主人のウラに潜むダンディズム。
これこそ大人の宿を感じさせる。
出発の朝、回廊をもう一度歩いてみた。
ところどころに仲むつまじそうな男女の道祖神。安曇野のあぜ道をぶらり歩いた日を思い出した。
10年ぶりのすぎもとが自分にどう映るのか、どんな存在なのか、興味があった。
宿のほうが変わってることもあるし、自分だって10年前の自分とは違う。
でも約10年ぶりに訪れたすぎもとの印象は、一貫してた。
それは初めてちょっと”いい目”の蕎麦屋さんへ行ったときの感覚に似ていた。
家に戻ってから自分は七味唐辛子でざる蕎麦を喰うようになり、オークションでオーディオを物色中である。
「どのくらい追いつけたかな?」
いや、まだまだ距離はありそうだな。
旅館すぎもと 宿泊レポ 前編 -到着からお風呂まで-
旅館すぎもと 宿泊レポ 後編 -夕食から思い出話- ←いまここ
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